わたしの生い立ち:幼少期(小学生)

適応障害は( 適応障害:治療の3原則 )でも語ったが、適応障害の治療には三原則がある。

その中でも私の思考パターンのクセを形成したであろう生い立ちについて振り返ってみる。

まず今回気付いたのだが、もし遺伝的要因があるのであれば
私の家系はメンタルは強い方ではないと言える。
まず大きなのが曾祖父さんは自死したし、兄弟も適応障害どころかその先の鬱を発症した。

父母に関しても、母が会社で昇進し、責任ある職務を任された時に、更年期も被ったのが鯨飲か、不眠になり睡眠薬を用いていたという。
父も病院でメンタル系の診断を受けたことこそないが、世間体を気にするタイプであることと他人の言葉に傷つきやすいタイプである。今回私の一件でカミングアウトしてくれて知ったのだが、地元で社長と社員2人の極零細の会社に勤めていた際にもう一人の社員が怪我か病気かで会社に来なくなってから寡黙な社長と二人きりの状態が続き、しかも社長は自我が強く、父の改善提案も「俺が正しいのだ」と言い、受け入れない性格でその期間は大変キツかったという。側から見るとはじめはうまくいってそうな社長との関係は、結局数年後喧嘩別れという形で終わった。

私自身は、ごく普通な中流家庭の出身だ。裕福ではないが、食べるに困ったことはない。

父母共に田舎から関東に仕事に出て、そこで知り合い私も関東で生まれた。高卒の両親は工場勤務であるが、誰もが知るような有名企業に勤めていた。団地暮らし。父が20代後半の時に、親族が爺さんの事業を一緒にやらないかということで、5歳の時に母方の祖父の田舎に移り住んだ。
自営業を営む父母の背中を見てきた。このことが私のキャリアについての考え方に影響する。

周囲の親族に会社員がいない環境で育ったので、自ずと自分でビジネスを起こすもの、やればやっただけ見返りが来るものという考え方が生じた。会社員というものがどういうものかわからなかったので、大学卒業間近になって、進路選択の段階でも戸惑った。これは後述する。
とにかく。自分もいつかは起業するものだと幼少期から漠然に思っていた。
小学生の時の工作の時に紙で服を作る授業があったのだが、その時に背中に「社長」と書いた作品を作成したぐらいだ。

小学生の3年生の時にギターを始めた。力がないのとまだ手が小さいのもあってかはじめは全然弾けなかったが、日々練習するにつれて上達しているのを感じていて達成感を感じたものだ。しかも婆さんの家にほぼ捨てられていたフォークソングが流行った頃のおじさんのギターである。ネックは反っていて12フレットの弦高はゆうに1cmはあったと思う。中学生になってお小遣いを貯め自分でY A M A H Aのパシフィカというエレキギターを買った時に、こんなにもギターって弾きやすかったのかと感激した。巨人の星で言うと星飛雄馬の養成ギブスがおじさんの捨ててあったフォークギターだった。

ギターは小さな成功体験の例だが、挫折も経験している
小学生の剣道を2年か3年ほどした。これは6年生になる前、確か5年生の時に肌に合わずに辞めている。
特に無断で部活動を休むと言うことはなかったが、嫌だと思い辞めた。
理由は思い出せないが、一度も試合に勝ったことがないのでむいてないと幼いながらも、向いていないと自分で思ったのだろう

成功体験といえば自慢話がある
当時スラムダンクというアニメが流行、バスケが片田舎でもにわかに流行した。ミーハーな私は趣味はバスケで、自分で端材とリングのネットを買ってきて日々練習に勤しんだ。

私は身長が低い。誕生日が超早生まれということもあり、学年で言うと1年開きがある。身体の発達が盛んな小学生の時期で言うとほぼ1年も開きがあればいかに体格差があるか容易に想像がつくであろう。体育の時の「前ならえ」はいつも手に腰であった。たまに背の順で2番目になった時に両腕を前に伸ばすことができた。

1年も開きがあれば、脳味噌も差が出そうである。
ただ、学業の方はなぜか記憶力が良かったのか上位だった。頭は良い方であった。だからこそ、3年生の時に体は小さくとも頭は良かったのでいじめなどはなかった、なぜか教師とは反りがあわあなかった。9歳か10歳の少年が自宅でフォークギターで15の夜を変声期前の甲高い声で歌っていればそうもなるのだろう。

話をバスケに戻すと、私の垂直跳びは92cmであったことだ。確か全校平均は50cmとかそんなものだったと思う。身長が低いので、バスケのはじめのボールをヒョイとあげ弾きとる場面があると思うが、私より背の高い人(ほぼみんなだが)は油断をして、いつも私にボールを弾き飛ばされていた。
垂直跳びは1年ほど暇があったら廊下をジャンプし天井にタッチしようとピョンピョン飛んでいたら必要な筋肉が付いたのか初め50cmくらいから最高92cmに跳ね上がった。これも些細なことだがコツコツ鍛錬した事による成功体験だ。

大きな病気や怪我で言うと
3年生の後半に左腕を骨折して2週間入院、退院したかと思うと今度は盲腸で入院という始末
きっと人生に山谷があれば谷の時期だったと思う。

のちに父から聞いた話だが、左腕の骨折も少し高所のとこから排水溝近辺に倒れた時に左手をついたから良かったものの。
もし無意識に左腕をついていなかったら、おそらく蓋のない排水溝の淵に頭をぶつけ死んでいたかもしれない。
当時P T A会長であった父は排水溝の蓋の設置を進言し、実際に蓋がついたとのこと。