引っ越し手伝い(前編)

唐突だが、自分はついている

メンタルがどん底の土曜日( 「なぁ、俺何かがおかしいんだよ」 )は4連休であったのが救いだった。翌日の日曜に、しかもなかなか予約が取れないと言われる、心療内科の予約がすぐに取れたこともついている

さらに翌日は弟の引っ越しの手伝いだったので気を紛らわすのにはうってつけだった。

調子が完全に狂ってから三日目、まだソワソワ感は続いて落ち着かない。
明らかにキャパを超えている気になる業務も、
業務調整をし「できないものはできない、ただここまではできる」などメリハリをつければ
先方にも説明がつくし、どうにか回ると事象の捉え方を替えることで、少しは楽になったが、あくまでも「少しは」である。

さて引っ越しの日は朝9:30から西新宿で弟と合流。引っ越し用の大きめのバンをレンタカーする。自分は人生初の睡眠薬と精神安定剤を飲んだ初日なので、何が起きるかわからなかったので、流石に運転は辞退した。助手席専任だ。
睡眠薬の効き目はいまいち、プラセボじゃないかと思うくらい普通に睡眠途中に目が覚めたので、同時に処方された精神安定剤の効き目も懐疑的である。少し倦怠感はあるが、これが薬によるものなのか、デフォルトでここ数ヶ月のものかは判断がつかない。

朝早く目が覚めたので1時間ほど近所を散歩してみた。なるべく今まで通ったことのない道を選んで歩いてみた。現在住んでいる場所に引っ越してきて2年間。すぐそばであるのに、初めてみるお店や、お寺など見つけた。

近所散策もなかなかいい。

相変わらず食欲はない。

だが、なにか食べなければとの使命感だけで、おにぎりを口に詰め込んだ。まだ集合時間まで全然余裕がある。

中野坂上で下車し、一駅歩いて、
”レンタカーの駐車場近くのコンビニの前にいる”と弟にメッセージを送った。
ちょっと疲れたのとソワソワ感を抑えるために、花壇に腰をかけていた。側から見るとマスク越しでもきっと、疲れ切った人であったろう。

下を見ていたら、ミニベロのタイヤが目に入った。

「誰だ?近いし!」と、顔をあげると弟だ。不意打ちだった、まさかの自転車でやってきた。
てっきり電車に乗ってくるものだと思っていた

その場から徒歩数分、おしゃべりをしながら車の場所へ向かう

弟はメンタルを患った大先輩なので
私への対応も、若干気を使いながらかな?という優しさを感じた
会話で言葉を選んでいる様だった。

駐車場に着くと、車を借り兄弟は乗り込んだ。
調子が万全ではな買ったが、調子を万全にしないといけなかった
なぜなら弟はペーパードライバー
免許を取ってから数年間、運転をしたのは両手で余裕で足りる
繰り返そう、まだ朝早く交通量は少ないとはいえ
ここは新宿だ。

運転の感覚を取り戻すのは数分はかかる
人間不思議なもので一度習得したものはなかなか忘れることはない
弟は車こそあまり運転していないが、学生の時にバイクに乗っていたので
交通認知能力に関しては心配ない。
案の定10分もしないうちに兄弟は普通のドライブを楽しんでいた。

いよいよ弟のマンションに到着する
ここからが難関だ。なぜなら道は狭く一方通行である
しかも荷物を搬入する場所は開けているが、その入り道は直角、車一台ギリ入れるかの車幅。うまくいけば1発、そうでなければ一度切り返しが必要なほど狭い。当然、先ほど借りてきた車の車幅感覚などない。しかもバンなので普通の車より大きめだ。

弟の弱点は駐車だ。教習所では前に進むことは時間をかけて練習するが、私は提案したい1コマ使ってひたすら駐車の練習も授業に入れろと。右往左往していると、後方に大通りに抜けようとしている車がスタックした。兄は外に飛び出し車の誘導をおこなう。

駐車も外から弟をガイド「つぎ思い切り右にハンドル切れ!よーし ここまで出れるぞ、ハンドル戻してバックバック、まだまだ…はい、ここまで」数分かけてどうにか駐車も完了し荷物を部屋から車に運ぶ

1時間ほどせっせと5階から荷物を運んでは載せを繰り返した。

調子はすぐれないが、久しぶりに汗をかいた

重い箱を持ち、力も使った。

「一旦休憩にすっか」と、休憩の時に水と缶コーヒーを飲みながら
弟に昨日の夜心療内科のことを話したり、彼が鬱だった時の症状など、

どんな感じだったか、使っていた薬のことなど聞いた。
自分より弟の症状の方が段違いで大変だったことを知る

弟は仕送りもなく、自分で生活費を賄っていた。

もともと寡黙なので友達も少ない。朝から夕方まで真面目に大学の授業に出て、
夕方から深夜までバイトをして、

また起きれば学校という生活を繰り返すうちにメンタルを壊した。
休まらないという状況は、今の私と同じだなと感じた。

学校の健康診断で様子がおかしいことに先生が気づき
そのまま病院へ行き、鬱との診断が出た

家族中で心配はしたが、メンタル壊すということから
全然程遠いところにいた私は当時、本当の意味でどのくらい辛いかは理解できなかった。

私の症状が3段階の2だったら、弟は3段階の3
自分も同じ様な状況になって、少しは弟の当時の辛さを知ることができた。

そんな話を聞きながら、

「よっしゃもうひと頑張りすっかと」

兄弟は手際よく五階を数往復したのち、搬入を終え、

新居に向け車を走らす。