話を聞いてくれる人がいるだけでスッキリ気が休まり救われる

話を聞いてくれる人がいるだけでスッキリ気が休まり救われる

友人と久しぶり会った。
気晴らしに話を聞いてくれる人がいるだけで救われる
話しているだけで心がすっとしていく。

友人ともに気になっていた洋食レストランを試してみたかったので行ってみた。
雨にもかかわらず結構な人気の様子で賑わっていた。食べたものはオムライス。シンプルだが初めて食べる味を堪能できて満足。
会話も弾んだ。

お互いアートが好きなので、アートといえば上野で間違い無いでしょ!と言うことで、上野へ向かう。上野といえばあの絶不調だった、弟の奥さんの家族との顔合わせぶりだ、少し小雨が降っている。まさに天気までそっくりだったので妙なフラッシュバックとかあるかなと思ったのだが、ストレッサーは上野にはないので全然問題なし。
むしろ「あの日は大変だったよなー」と懐かしむ、友人に語る余裕すらある。

上野の料亭で食事をしたときにお土産でいただいた、よもぎの麩饅頭を友達に紹介。
これは美味だ、小雨の中、小さな箱を紙袋で渡してくれた。目的地は東京国立博物館の桃山時代の作品展、「桃山―天下人の100年」だ。麩饅頭を入れた私の白い紙袋はすでに博物館の入り口でドロドロになって笑った。荷物になるので、コインロッカーに預けた。100円玉がデポジットとして必要だが、取り出す際は戻ってくるシステムだ。知らなかった。これは便利だ。逆もしかりなのだろうが、人間複数で行動するといろんな知識の交換になる。

適応障害というか鬱で引きこもりになる前に「外に出ろ」と「体動かせ」とよく言われるのもこう言った刺激を得ることも含まれていると思う。マーケティングの本で読んだことがあるのだが、一番悪い数字は1とのこと、その心は、例えば仕事が1つだったらどうだろうか?つまり収入源が1つであり、会社員などが該当する。収入源を失うことはかなりストレスというか恐怖になる。セールスの見込み客もしかりである。1つの本命顧客に執着しターゲットを絞ってたら、その他大勢の確度の高い見込み客獲得のチャンスを逃す。私も適応障害で抑うつになった時は完全に視野が狭まっていた、「仕事中心の生活」に気づいたらなっていた。周囲の人と楽しんで笑うと言った当たり前の「自分の生活」が綺麗になり。選択肢が「1」になっていた。まさかトーハクのエントランスのコインロッカーで、ドロドロの麩饅頭を預けているときに、そんなことを私がしみじみと感じていたのは友人は知るよしもない。

チケットのお値段は2400円となかなか高額だが、教科書でお馴染みの織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、フランシスコザビエルの肖像画を見られたのは感動した。普段目にするザビエルの肖像画はトリミングがされているようだ。下の方に日本語で何か書かれていたということを初めて知った。

コロナで入場制限をしているのは驚いた、入場できる時間帯が30分刻みだった。
3蜜にならない為の施策なのか、作品の前の床にはラインが引いてあり、それ以上前にいくと係員に「近づきすぎ」と注意される。また、友人と2人とかで鑑賞すれば、館内で作品やその時代の知識などを熱く語りたくなる場面も出てくる、あまり暑くなって喋ってると、係員に「喋るな」と注意される。なかなか時代は変わったものだ。

一生分とは言わずとも、向こう5年分は屏風絵をみた。3時間くらいで300点結構なボリュームで、疲れた。普段1万2千歩歩く私でさえソファーに座ると足が気持ちよかった。あまり体力のない友人もソファーに座ったら根っこが生えていた。

ランチを食べ博物館で作品を見ている最中のは私が言葉数が多かったのだが、後半から友人の方が言葉数が多くなっていた。職場でいろいろストレスを抱えていることは前から知っていたが、相変わらずのよう。異動やらなんやら職場環境も変わり改善した面もあればそうでないこともあり「どこも大変なんだな」と思った。そのまま晩ご飯も食べたのだが、過去に職場でイジメにもあったこともあるらしく「人に歴史ありだな」と思った。数ヶ月でその職場を離れると言う決断をしたので大事には至ってないが、無理をしてたら私と同じく適応障害になってただろう。今こうやって私は彼女の職場の愚痴など聞いているわけだが、こうすることで彼女自身も救われているのだろうなとも感じた。

「やばい」とか「ここイヤ」と言う心の声は素直に従った方がいい。そうなる前に体が重い、お腹痛、肩こり、首こり、頭痛、寝汗など兆候は出ていると思う。ストレスから来る体のSOSには気づいて欲しい。私は特に肩こり、寝汗がいいサインだ。

弱いところも曝け出せる友人が近くにいて、私は幸せものだ。